hitolay

アラカルトブログ

人のエンタメを笑うな

人のセックスを笑うなっていう小説があったと思うけど、言いたいことは要は同じかと。

 

最近、年下の子におすすめされた韓流ドラマを観ようと思えない時になにか違和感を感じた。昔は友達から勧められるジャニーズもK-POPもすんなり聞いてたし一緒にハマっていた。なんならそこから少倶もハロベビも観てたし根っからのミーハーなのにどうも、えぇいいよって瞬時に言っちゃう時がある。絶対観たらハマるのに。

 

たぶんどっかに韓流とかジャニーズを見る人はこういう人みたいな定義があって、さらに可愛いキュンキュンしたい年頃の子が勧めてきたのも相まって、そのカテゴリーに自分がいることを想像した時に違うなと思う気持ちが瞬時にえぇ、いいよって言葉にでちゃってる。知ってるワイフは毎週観てる癖に。Imitation Rainを神曲だと思ってる癖に。本当はキュンキュンしたいのに。とっさに ええ、いいよ。って言ってしまう。

 

そんな自分が心底嫌だ。

こんな、おばちゃんになりたくない。

 

なぜならその作品、アーティストをどうこう思うわけではなくて、それにカテゴライズされる自分が嫌だというなんとも非文化的で、打算的で、傲慢だからだ。まるでサブカル好きの枠に入りたいように踠いている1番見苦しいタイプの人間で。「そんなやつ、今村夏子さんのピクニックを読んでも何も感じないよ」。自分の人生を自己啓発本に沿わせて、思想をそのまま注入して口から吐き出して、出世するにはどうだとか勝ち組だとか負け組だとか言う軸で語り始めるんだ。そんなの嫌だ。何を観ても感想が生まれず、考察ばかりを消費するような生き方、いつまで経っても昔のあれは良かったが更新されない。そんなの嫌だ。

 

実際に見てハマらなかったらハマらなかったわでいいし、好きだったら好きでいい、それが人それぞれのエンタメであって、そんな低俗なものは見ません高等な人間なのでみたいな、もうその時代終わったんでみたいな、そこに私はカテゴライズされないんでみたいな、そんな短い矢印が最初から最後まで自分に向いてる、かつそれを見た人を蹴落とすような、見る前から聞く前から読む前からそんなことを言うようなおばちゃんにはなりたくない。

 

アーメン