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アラカルトブログ

なぜ我々は天沢聖司になれないのか?

個人的に知識と考えが深いなと思ってる先輩に、なんでそんなに色んなことを吸収するのかって聞いたら、「色んな人と話すための引き出しを作るためかな、最初はかっこいいとかだったけど」って言ってて

 

むちゃくちゃ同じことを自分も友達に言ったことがあって、たぶん先輩とは知識のレベルが違うから中身は違うんだろうけど、理由のとこは、ウァァ!一緒だな!って思ってかなり嬉しくなった。

 

んでさ、私の恋人がその先輩に、「吸収したものを形としてアウトプットしないのは、ストレスじゃないのか?」って話を振ったんだんだよね。

 

私も同じことを聞かれたことがあってさ、「人との会話が小さなアウトプットで、そんなの絵が上手くかけたり小説がうまく書けたらとっくにやってるよ!」ってその時答えたんだけど、ここからは私の話。

 

今日はそこについて書きたい。だらだらと書いて、信じられないと思うが今のが前段。そもそもクリエイターと我々業者(一般企業で働く人)の何が違うかって話。恋人がアニメクリエイターなので、恋人との会話内で出た結論でしかないけど。

 

まあ生まれながらの感性の違いだろと思うが、これはないと思う。なにかに感動したり、かっこいいって思ったり、これ嫌だなって思ったりするのは一緒。なんで一緒と思ったかというと、そもそも感性自体がかなり違ったら同じ映画観て泣いたり笑ったりしないっていうのもあるんだけど、 

恋人がアニメを見ながらブツブツ文句を言ってときがあって「なんで音が出るシーンで音波の波を描くんだ」「ここで光が入るのは変だわ」「ここでまばたきしたら話が途切れるじゃん」 とか細かいことを言ってたのね。

これ、クリエイターの感性だわ自分にはないって思ってたのよ。でも聞いたら、アニメは、話に没頭させるために不自然にならないようにすることが最重要。余計な思考を見ている人に与えないようにするための手段が必要。って言ってた。たしかにさっきの文句も全部そうだわ。めちゃくちゃロジック。

 

じゃあなぜ我々はクリエイターになれないのかというと、固定観念。そもそも上手く書かなきゃいけないっていう固定観念。上手く書けないから書かない、誰もみてくれないから書かない。これが我々業者とクリエイターの差ではないかと。上手くなくてよい、こんなにブログが長くなっても良い、それがアウトプットであって、アウトプットをしないから、一向に上手くなることもない。

 

耳をすませばで雫が初めて小説を書いたときに、おじいちゃんが言った言葉がまさにそう。


雫「やっぱり見せなきゃダメですか?だって、ちゃんと書けるかどうか、まだ分からないから。」

西「ハッハッハッハ。それは、私たち職人も同じです。はじめから完璧なんか期待してはいけない。」

 

あとは、頭の中の回路が若干違う。私はなにか作品を見たり新しいことを知るとき「コレクションとしてフィギュアを置いてくイメージ。それを出したり閉まったりするイメージ。」恋人に聞いたら、恋人は、「粘土にくっつけたり削ぎ落としたりして形を洗練していく」イメージって言ってた。

 

違うようにみえるが、「コレクションのように置いておいて出したり閉まったりする」のと、「粘土にくっつけたり削ぎ落としたりする」はどちらも好きなものや嫌いなものに純粋に触れて大切に思っているという点が一緒。

 

ただ、それによって「形(自分の感覚自身)をつくって洗練していく」という感覚はどうもない。私は集めたコレクションを観て時々出したりしているだけの感覚に近い。ただ、形をつくって洗練するというのは、例えば好きなものを描いて、違うなあって描き直してまた描いて、あ!自分はこれが好きなんだとアウトプットによって自分の感覚自身を洗練させるということ。つまりアウトプットを繰り返している人の感覚でアウトプットをしていないからわからない感覚なのではないかと。

 

西「緑柱石といってね。エメラルドの原石が含まれているんだよ。」

雫「エメラルドって、宝石の?」
西「そう。」
西「雫さんも聖司もその石みたいなものだまだ磨いてない、自然のままの石。私はそのままでも とても好きだがね。」

 

西「しかし、ヴァイオリンを作ったり、物語を書くというのは違うんだ。」
西「自分の中に原石を見つけて、時間をかけて磨くことなんだよ。手間のかかる仕事だ。」

 

西「その石の、一番大きな原石があるでしょう。」
雫「はい。」
西「実は、それは磨くとかえってつまらないものになってしまう石なんだ。もっと奥の小さいもののほうが純度が高い。」
西「いや、外から見えないところにもっといい原石があるかもしれないんだ」

 

 

つまり我々とクリエイターが違うのは表現をすることと回数。上手くやろうと思ってしまってアウトプットが極端に減る。アウトプットが減ることにより洗練されない感覚を、感性がそもそも違うと思ってしまうこと。本当は、誰がやっても初めは荒々しくて率直で未完成で恥ずかしいものなのに。

 

聖司くんは、中学からヴァイオリンをつくることしかやらず、磨き上げたら大きな原石しか残らないかもしれない。業者として様々な気持ちを味わったその小さい原石を、もし、磨く作業をしたら、我々は天沢聖司を超えるかもしれないと信じてる。