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アラカルトブログ

サブカル映画と言わないで-花束みたいな恋をした感想

サブカル映画で話題の花束みたいな恋をしたを観ました。まだ噛み切れてない感じがあるけど、すごいよかった、そして悔しい。

 

タイトルと出演者をみると余命系ラブロマンスかと思うし、サブカル映画って出回ってからはモテキを想像したんだけど、どっちでもない絶妙なバランスの映画。サブカル映画で片付かないし、恋愛映画でも片付かない。

 

趣味が合って運命的に感じる出会いをして、花束みたいな時間を過ごして、誰のせいでもなくすれ違って、お花みたいに枯れていく、こんなありきたりな話、ドラマにしたら面白くなりようがないんだよ普通。だから誰もやってなかったのかもしれない、でもめちゃくちゃ良い作品になってる。共感と羞恥、切なさで胸がいっぱいになる。すべての20代後半の人達に見てほしい。でももしかしたら、なんかエモかったわあで終わったり、もっと恋愛って色々あるじゃんって人もいるかもしれないし、菅田将暉が変わったのがいけないって思うかもしれない。それもたぶんあってる。ぐっとくる自然さを感じる人もいると思う。それはきっと時間が過ぎるのを感じない瞬間から、時間が過ぎるのを感じる瞬間に変わるのを経験したことがある人かもしれない。わかんねえけどいいんだ

 

サブカルもあくまでその2人を表現する最適な要素だったと思うし、彼らにとってはメインカルチャーでしかないというか、その映画のカルチャーに共感する箇所があった人も多いと思うから結局カルチャーにメインもサブもないよなあ。押井守を無視して、ショーシャンクの空にが名作だと話すような自称映画好き男が目の前にいたら、まじかよって思う気持ちもわかるし、その感性はもはやマイノリティではないだろうに、サブメインとか隔たりなんてそもそもないんだよなあと。

 

2人とも立派で中途半端でちゃんと優しくて、考えてて感じてて、だから見ててしんどくて苦しい、観てから時間が経っても今も苦しい。ない記憶が自分にできてしまった感覚。

 

何が悔しいかって52歳の坂元さんがオリジナルでこれを描いてるという事実。なぜこのテーマを?なぜそんな機微まで?どうしてそれが好きだとわかる?まさに今渦中にいる人しか描けないようなことを才能と経験でやられてしまう悔しさ。

 

 

気持ちが動く瞬間をくれてありがとうございました、ただ1つ言いたいのは、仕事ばっかりになるとパズドラしかできなくなるはマジ、ソースは国民